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<弦楽合奏の楽しみ>
(11) 頑固な面々のしつこい努力

ビオラ氏の嘆きから刺激を受け、色んな工夫と努力を積み上げているうちに、ぼつぼつメンバーが揃い始めてきました。前回紹介した大学オケの後輩達も有力なメンバーでしたが、他にも有力なメンバーが増えてきました。

まず、団員の奥様の紹介でVnのソリストが見つかりました。これは大きな事件でした。この方が加わって、演奏できる世界が広がったのです。それまでは夢の夢だったビバルディの四季全曲演奏が可能となりました。ビバルディの合奏曲集作品4「ストラバガンツァ」も可能となったし、バッハのオーボエとVnのためのコンチェルトも可能となったのです。この方は、そんなに弾ける方なのに、我々に本当に良くお付き合いして頂けたと思います。正に相性が良かったと言わざるを得ません。チェロもビオラも充実してきましたが、それもこれもこの方がおられたからと言っても過言じゃないと思います。また、合奏団の音も、この方が加わってから変化したのではないかと思いました。全く、やはり合奏団にはぱりっと弾ける人が1人居ると居ないとではえらい違いです。

また、APAの紹介で主婦の方が参加してこられました。この方も、子供の頃からやってこられた方で、強力なメンバーです。

それに、日響のポスターでチェロ氏がやってこられました。我々には元々コントラバス氏が頑張ってくれていたので、何とかチェロ無しでもやって来れたんですが、やっと形が出来上がってきました。この方もなかなかのベテランで、一気に低音が充実してきました。

そうこうしている内に、団員のご近所の方でギター教室を開いておられる方から、ギター発表会の賛助出演の話が持ち上がりました。我々は、パッヘルベルのカノンをひっさげて臨んだのです。この発表会は、演奏会の一種と云え無くもなく、団の方針に反するのではないかという意見もありましたが、2週間に1回の合奏会の内の1回と言う捉え方で、その為の特別な練習日は一切設けないということで一致したのでした。全く、発表会の2週間前から一切その曲の練習もやらず、その2週間前の合奏も、発表会とは関係のない曲もやるという徹底振りで、まぁ、自信と見れなくもないが揃いもそろって頑固者ばかりが集まったものです。

団としては、そのとき初めて人前で弾いたのでしたが、この演奏で思わぬことが起こりました。このパッフェルベルが相当な評判になり、我々はこのギター教室の面々と急速に親しくなったのです。そしてその後、私たちの普段の合奏会に関西の若手ギタリストを次々と招いて、ギターコンチェルトが出来ることにもなったのです。

また、バイオリンを弾く方の中にピアノの名手が居て、チェンバロを導入できないかの話も持ち上がりました。チェンバロ…これもまた夢の又夢です。しかし、電子楽器なら何とかお金を出し合って購入できるのではないか、ということになったのです。早速ビバルディものから導入したところ、これがまた良い雰囲気なのです。その内に、団員のVnの先生から本物のチェンバロをお借りできるという、 願ってもないお話が飛び込んできました。このチェンバロで、バッハのチェンバロコンチェルトを全曲やりましたが、実に素晴らしく、今でも強い印象に残っています。

全く、ねばり強く長く続けると言うことがいかに大事なことか、長い間には必ず良いことが起こる、うまくいかないからといって、すぐにやめてしまうと何も起こらないと言うことを痛感したのもこの頃でした。

出席率100%の合奏団を目指して約5年。ようやく団の形が整い始め、合奏も次第に充実してきました。かなり色んな曲がやれるようになり、バラエティに富むようになってきました。

そしてなにより、出席率100%がほぼ達成できるようになりました。もうそんな雰囲気が出来上がってしまっていたのです。休むとしたら、自分一人だろうと言う思い、これも確かにしんどい話で、やはり中には苦痛に感じて来なくなってしまった方もおられました。これもやむをえません。

かくして、100%出席しても苦にならない連中ばかりの集まりになって来ました。その結果、常にバランスのよい楽器構成で合奏が出来、ハーモニーが充実してきました。粘り強く長くし続けることの大事さを痛感させられた瞬間でした。そして、その後この合奏団は20年以上も続くこととなるのです。その中のメンバーには例のビオラ氏も復帰し、活躍されたことはいうまでもありません。