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<バイオリン上達への近道>
(4) 我が人生最大の興奮(上)

それは3〜4年前のことでした。我が人生最大の興奮を体験したのは。そして今思い出しても、熱い血がたぎってくるような気がします。この話はまた、難曲をとにかく弾けるようになるにはどう練習すれば良いかということも示唆しているのです。しかしこのお話に入る前に、それまでの私のバイオリン人生について簡単に触れることをお許し下さい。そうしないと、どうしてそれが我が人生最大の興奮なのかが理解していただけないからです。

さて、あなたはオーケストラの総合練習ででこんな経験をしたことは有りませんか? 総合練習の最中に、つい途中で落ちてしまった。立ち直らねばと何度も何度ももがいたが、ついに最後まで立ち直れないまま曲は終わってしまった。そんな時に限って指揮者先生はこ うおっしゃるのです。「あー今の最高!最高!この気分を大事に、今日の練習はこれでおしまいにしましょう!」と。 私はそんな時、子供の頃からバイオリンをやっていて、涼 しい顔で弾いていた人達が妙に恨めしくもうらやましく思えたものです。本当に私は、彼 らとの余りにも大きい隔たりが不思議でなりませんでした。全く不可能と思われるようなハイポジションを、まるで神業のような速さで弾いてしまう彼らのことが。まるで魔法じゃあ りませんか! 私はこんなことを常に問いかけていました。子供の頃からやってる人は、一体何故あんな難しい楽譜があんなに速いテンポで弾けるのですか。何故そんなにハイポジョ ンを正確に捕らえることが出来るのですか。どうしてそんなにきれいにトリルが弾けるのですか。しかしそんなときでも「そりゃ子供の頃からやってるからや。」という答えしか返っ てこないのです。だから「私はどうすればアンタのように弾けるようになれるのか教えて下 さい!」と聞いても明快に教えてくれる人は誰もいません。そればかりか、子供の頃からや っている人に向かって「あなたは何故弾けるのか」と聞く方がおかしいといった感じです。 「ソンナモン当たり前やないか。」という訳です。 しかしこれも考えて見りゃおかしいも のです。何事にも要因があってその結果があるのなら、弾ける人と弾けない人があるのにも 原因があるはずです。 しかし、この疑問は後年になって分かるようになりました。つまり、子供の頃から弾いている人は、何故今自分が弾けているのか分からないのだということを。 彼らは子供の頃から相当苦労して練習を重ねてこられたのでしょう。先ず我々と彼らとの間 には15年以上もの練習量、それも子供の頃の成長期に受けた訓練という何ともしがたい差が付いているのです。そこには、習慣化されたカリキュラムにのっとった、膨大な繰り返し と試行錯誤による技術の習得があったのでしょう。そこには理屈はありません。従って仮に 「おまえは何故弾けているのか。」と急に聞かれたとしても、彼らはそんなこと考えたこと もないので答えようもありません。だから彼らは、大人から始めた人が苦労しているのを見ても、自分がどう助けたらいいのか、彼は分からないのです。そればかりか「あれじゃあ無理だ」と思ったとしても無理もありません。彼らと我々の間には失われた膨大な時間の差があるのです。それを取り戻す方法など彼らに分かるはず有りません。私は心に決めました。弾ける人が頼りにならないのなら、もう自分で彼らの世界を覗いて来るしかないじゃないですか。自分がどこまでやれるか分からないが、私自身がバイオリンが弾けるようになりたいという強い情熱とともに、たとえ弾けるようになれなくとも、一生かかってもいいからあの人達が弾ける理由を理解できるようになりたい、と思ったのです。何故弾けているのか、どんな条件が満たされたら弾けるようになるのか。そして出来れば後続の同志に、私自身のわかりやすい言葉で語ってあげたい、と。 こんなことを考えてはや30年! この30年 のバイオリン人生にも色んな事が有りました。今思い出すと確かに運命的な出会というべき出来事が3回ありました。1回目は我がバイオリンの先生との出会いです。この先生については次回に思いっきりお話したいと思います。2回目はある本との出会いです。この本はジ ュリアード音楽院のガラミアン教授著「ヴァイオリン奏法と指導の原理」といいます。この本を読んで、私はそれまでのバイオリン解説書とは違ったものを感じたのです。それはもう翻訳の力も大いに関係あると思うのですが、実にわかりやすい言葉で、適切な表現。そして その内容のいかに独創的で且実際的なことよ!! これは恐らく、翻訳者もバイオリンの達人か、または深く理解している人だと思います。私はこの本によってバイオリン演奏の技術的な基礎知識を得ることが出来たのです。基礎知識とは言いながら、バイオリンというものを自由に演奏するにはどういったアプローチの仕方があるのか、という、極めて実際的な応用範囲の広いテクニックについて、分かりやすい訳で書かれているのです。私は、その頃もいつまで経っても上手くならない自分に絶望しかけていたのでしたが、この本との出会いによってまた生き返ったのでした。そしてこの本の教えはその後、私がバイオリンの奏法 を考えるときの基本的な考え方になったのです。

これでは少し抽象的なので、私が最も影響を受けた点についてお話しします。 私たちは、 ポジション移動というとややもすれば「肘ー手首ー指が常に一体となって移動せねばならない。」と考えがちです。しかし、ガラミアンの本にはそんな表現はありません。むしろ、手首の屈曲、手の収縮拡張といった、いわば自由な音の捉え方を教えてくれているんです。つまり、手や指の引っ張り合いっこ、といったことなんですね。どうかすると、手の大きい西洋人にはことさらにポジション移動などしなくても、ちょっと指を伸ばすことで済んでしま う、これは具体的には、春の海なんか分かりやすいです。私たちがポジション移動と呼んで いるテクニックは、常に手首から手全体が形を崩さずに行うべきと考えると、どうしても必ず ぴたっとはいかないことも、このような考えを持つことによって、運指が実に楽になったんです。これは大収穫でした。つまり、手首が曲がることもあるし、指だけがまるでいもむしのよ うに這い上がったり這い下がったり、またある指を支点にして指が伸びたり縮んだりと色々あ るんだという事なんです。このような柔軟に考えると言うことでぱっと目の前が開けたような気持ちがしました。

さあそして3回目が今回お話する「事件」なのです。 私は、バイオリンを始めてからも う30年近く経っていました。しかし一向に思うように上達しないイライラが、ついに絶望感に変わりつつありました。逆に言えばこの30年間というものは、先にあげた先生との出会いや、ガラミアン教授の本との出会いもバイオリン上達への道を諦めるのをほんの少し引 き伸ばしただけに過ぎなかっただけじゃないかと、かなり落ち込んでしまったのです。私 の本棚には弾けもしない楽譜がずらりと並んでいます。これらの楽譜は、私の敬愛した先生 がそろえてくれた楽譜でした。ローデ(No.1、4、6、7、8、11)ベリオ(No.7,9)、ヴィオッ ティ(No.20、22、23)、モーツァルト(No.2,3,4,5)、ハイドン、ボッケリーニ、メンデル スゾーン、ベートーヴェン、ラロ等々のバイオリンコンチェルトやシューベルト、ブラームス等々のソナタ集 etc.etc. そして小品の数々。いずれも全く手も付けていないか、付けたとしてもおっそろしくゆっくりしたテンポでごく一通りだけ弾いただけといった調子の楽譜ばかりなのです。これらの楽譜は、いつかこんな楽譜が弾けるようになりたいという夢あるいは希望そのものだったのです。しかしその夢もとうとう果たさずじまいで終わろうとしていました。私の愛器は勿論いわゆる名器でもなく、やすもののバイオリンですが、私の大好きな非常に明るい音色で、私のこれまでの喜びも悲しみも全て知っている、かけがえのない友でしたがもうある時期から弾かなくなったのでした。そうです、人にこそ言いませんでし たが、もうバイオリンから足を洗おうと思っていたのでした。

しかし考えてみると、バイオリン一途に考えてきた私には、他に趣味らしいことは何も無 かったのです。だから急に無趣味になってしいました。そんな頃、ふとコンピュータミュージックなるものの存在を知ったのです。それまでは、若いコンピュータ族に圧倒され、コン ピュータアレルギーの代表的な中年族だったのでした。しかし、コンピュータミュージック の魅力を聞いてからは、思い切ってパソコンを購入し、今後はコンピュターミュージックを 趣味にしようとはりきりました。音源モジュールはローランドCM-500、ソフトはレコンポーザでした。早速ミニスコアを片手に、色んなオーケストラの曲を入力し、接続したマイオ ーディオから発音させて楽しんだのです。半年くらいはかなりはまり込みました。しかし段 々とこれにも飽きてきました。スコァを再現させた所でそれが何というのでしょう?管楽器 や弦楽器の音色も思ったほどにはリアルではなく、同時発音の数も限られており、2管編成のフルオーケストラの音に対しては十分でなかったのです。微妙な表情を付けたいと思って も大変手間もかかるし、本物の音を知っている身にはだんだん物足りなくなってきたのです。 この遊びは、あの奥深いバイオリンをしなくなった溝を埋めるには、あまりにも底が浅いと いう感じがしました。

そんな時たまたまチョット試してみた事があったのです。それはいつか購入した「魅惑の ストリングス」というバイオリン曲集のピアノ伴奏譜をインプットし、それをマイオーディ オから発音させ、それに私がバイオリンを弾いて合わせるというものです。もうバイオリン は完全に諦めていたので、本当にチョット試しにやさしい曲をやってみました。その曲は 「椰子の実」でした。オーディオのスピーカからは紛れも無いピアノの音が聞こえてくるで はありませんか!!私は感激しながらバイオリンを弾いて合奏してみました。実に面白いで はありませんか!!考えてみると、これまでピアノと合わせるというのはしたことがあり ませんでした。というのも、バイオリンの曲が私が弾けるようなやさしい曲でも、ピアノ伴 奏となると、そこそこのレベルの人でないと弾けないでしょう。ましてや次から次へと片っ 端から合わせようとするなら相当のレベルの人でないとむずかしいでしょう。となると私のレベルではそんな高いレベルの人と合わせるのが、気後れしたのでした。しかし、コンピュ ータなら何の遠慮も要りません。何回でも嫌な顔一つせず繰り返して付き合ってくれるし、 こちらの好きなところで、難所に差し掛かったバイオリンのためにゆっくり弾いてもくれるのです。しかもレコードと違い、ゆっくり演奏しても音が低くなったりしません。これはこ れはと、最初のうちは、チョット試しに取り出してきたバイオリンでしたが、それ以降、次 から次へとピアノ伴奏を入力してはバイオリンと合わせるという、この上もない楽しい毎日が始まったのでした。それも初めのうちは「浜辺の歌」「峠の我が家」とか「イエスタディ」 「メリーウィドウワルツ」といった曲でしたが、そのうちに少しづつ欲が出て来、昔バイオ リンの先生から最初に渡されたバイオリンコンチェルトで、もう少しの所で完奏できず中途 半端で終わり、前々から何回か再挑戦しては敗北していた「アコーライのバイオリンコンチ ェルト]を思い出し、そのピアノ伴奏を入力してみたのです。 そしてそのピアノの伴奏部を再生してみて驚きました。これがなんとも実に美しい、ロマンチックな曲なのです。もう 矢も楯もたまらず、この曲にVnで再挑戦してみました。最初ゆっくりと、そして大体、少 しの迷いもなく弾けるようになったところで少しテンポを上げる。というやり方で、ピアノ 伴奏で弾いていったのです。実に楽しい。しかも昔あんなに苦労しても弾けなかった曲が何とか最後まで弾けるではありませんか!私は興奮しました。それからというもの、昔先 生に与えられたものの、さんざんな目にあってろくに弾けず、私の本棚に眠っていた楽譜達 を取り出し、ピアノ伴奏のパートを数値入力して、マイオーディオから発音させてバイオリ ンで合わせるという毎日が始まりました。ローデ、ヴィオッティ、モーツァルト、----とマ ァ恐ろしい勢いで、かたっぱしから弾くといった感じでした。またどれもこれもそのピアノ 伴奏の美しいこと!! 特にヴィオッティの22番ときたら-----!! 実に楽しい。しか もあんなに弾けずに苦労した曲の大半が数カ月もすればなんとか全楽章最後まで弾けているはありませんか!!これはもう興奮せずにはおれませんでした。もうそれからといものは、 まるで気が狂ったようにバイオリンに没頭したのです。幸い、当時私は幸運にも?窓際族で暇だったので、どっぷり没頭することができました。そしてこの興奮はいつ止むとも知れず、 延々と2年間も続いたのでした。--ーーいかがですか。これが我が人生最大の興奮という訳です。 いやしかし私の話は、ここで終わるのでは有りません。肝心の「バイオリンから足を洗おうとしていた人が、何故突然弾けるようになったのか」というお話をせねばなりません。 しかし今回も少し長すぎてしまいましたので、続きは次回ということにします。