|
2)分離唱の真髄
前回は、佐々木氏が分離唱を創案されたときの様子をその著書から引用しました。これによって、分離唱というものの正体が大体お分かりになったと思いますが、ここで分離唱のやり方のエキスをご紹介しましょう。これは、私が氏の著書を注意深く読んで抽出したものです。
1)まず先生(あるいは自分)はできるだけバランスよくCEGの和音を弾く。
2)生徒(あるいは自分)は、その和音の中のEの音を全体のハーモニーの中に溶け込んで聴こえなくなるように感じるまでうたう。
3)これができるようになったら、同じようにGやCもうたってみる。
・・・と言うことに尽きる実に簡単な「作業」です。CEGでうたえるようになったら、CFAやHDGの和音にも試みて行きます。
注意すべきことは、
A)うたう時、極力力まずリラックスした普通の話し声でうたうこと。
B)歌うべき音を単音やアルペジオで示してはいけない。
C)ピアノの音は減衰してしまうので、何度も鍵盤を叩いて保持します。ペダルを使ってはいけません。
これをよく「聴音のようなものだね。」とおっしゃる方がいらっしゃいますが、積極的に能動的に和音の中に溶け込んで行く努力をするという点で全然違うと思います。佐々木氏は、分離唱を行うことによって耳が働き出し、ハーモニーを感じるようになってくるとおっしゃっています。注意すべき重要な点は、単音の音を聴こうとはせず、和音を聴きなさいということなのです。ピアノがなければ、電子ピアノやキーボードでもいいそうですので、是非一度やってごらんになったらいかがでしょう。
みなさんは、中学校の音楽授業で、 こんな経験をしたことはありませんか。 二部合唱や三部合唱などをやるとき、私なんか特に声が低かったのでバスを良く受け持ちました。・・・「故郷を離るる歌」とか「オールドブラックジョー」とか・・・。よく知っているメロディの歌ですよね。このような歌のアルトやバスのパートを歌うようにするとき、先生はどんな風に教えられたでしょうか。
多分、きっとまず先生の弾くピアノに合わせて、ドレミで歌えるようになるよう指導されたことと思うのです。熱心な先生であればあるほど、中にはコールユーブンゲン等で徹底的に「音程測定」能力を叩き込む先生もいらっしゃったことでしょう。このように、各パートをまずドレミで歌えるようにしてから、全員で歌詞をつけて合唱する・・・という具合です。
でもあれ、私は結構苦労した思い出があります。知っている歌であればあるほど、ついつい他のパートにつられてしまうのです。先生は、しっかりと自分のパートを歌いなさいとおっしゃる。それでもう、できるだけ自分のパートに集中して、他のパートは聴かないようにしながら歌ったものです。そのようにしてうまく行った時にほめてもらえるのですね・・・。
ところが佐々木氏は、このような日本の教育方法が日本人のハーモニー感覚を失わせてきたのだとおっしゃるのです。
佐々木氏は、このようなときでも、最初から全パートをピアノで弾いてもらいながら、その和音の中へ自分のパートの音を「歌詞」で唱和させて行くよう指導されています。これを氏は「分離応用唱」と呼んでおられます。上記の分離唱のやりかたに習熟した人なら、これはそうむずかしくはないということなんですね。かくして、そんなに時間をかけなくとも初見の曲でも、しばらくするときれいにハモって合唱できるようになるという訳です。
そもそも日本人は、ハーモニーとはほとんど無縁の民族だったと思うのです。西洋の音楽に比較すると邦楽にはほとんど和音がありません。このことは、どうやら狩猟民族と農耕民族の差であるらしい。つまり、狩猟のときに使用される弓に何本かの弦を張って竪琴とした民族と、稲や葦の茎、あるいは草笛を吹き鳴らした民族との違いなのではないでしょうか。
私自身のことを考えてみても、毎日のようにハーモニカを吹いて遊んでいた少年時代、そしてクラシックといえばベートーヴェンの運命といっていた時代に、交響曲を聴いても騒音としか耳に入らなかったことを覚えています。
耳に入ってくるのはメロディだけで、ハーモニーに対する意識が全くなかったのです。それだけに、美しいメロディは大好きでした。私がハーモニカに熱心だったのは、そんな美しいメロディを吹くのが楽しかったからでした。私が思うに、いまだに一般的日本人の多くはどちらかというとハーモニーよりメロディの方を好む傾向があるように思われます。
このあたりの事情と、分離唱との関係について、佐々木氏はこのように書いておられます。
♪♪♪
(引用ここから)
音階や旋律を基にして教育すると和音の中声部は聴こえなくなっており、このことは音大生でも分離唱の際、中の音はすぐに取れない人が多いことで証明できます。今CEGのEがうたえたのに、HEGのEになると歌えない・・・という人も多いのです。それが、分離唱の訓練が実ると、どんな和音の中のどんな音でもすぐにとれるようになります。
いつでも声を出せば、聴こえている音にでも和音にでも、ハーモニーする声でうたえるようになります。(中略)耳と喉をつなぐのがこの訓練ですから、音痴も矯正されて合唱の仲間に入れるようになります。他の音を支えに、自分の声を落ち着かせる・・・・。一人でE音をうたったら若干の狂いを生じるものですが、他のGとかC音が聴こえたら決して狂わないのです。
ピアノが発達・普及して世界中の学校や家庭でピアノを使った音楽教育が隆盛を極めたのに反比例して、人間はハーモニー感覚を失ってきました。平均律に調律されたピアノは、純正調と違って相対的に音を狂わせてありますから、本当のハーモニーは出ないのです。それなのに、この狂った平均律に合わせてメロディをうたってきたから、ハーモニー感覚を失ってしまったのです。
私が音感教育を始めたとき、教室で児童達にCとEとGの声を同時に出させて聴いているうちに、子供達の作ったハーモニーに比べて、ピアノの響きがあまりにも汚いので弾くのをやめてしまったほどです。
こう書くと「それなら、狂った平均律のピアノで訓練しても無駄ではないか、危険ではないか。」 とおっしゃる方もいらっしゃると思いますがその心配は全くありません。むしろ少々狂ったピアノでも、そのジャーンという響きに声を合わせていく・・・つまり・・・どんな音にも自分の声を合わせる能力を培うことが目的であり大切なことなのです。これは人間本来の自然な感覚で、中世期の人たちはこういう耳で教会音楽をうたっていたことが窺えます。ヒンデミットが我々の耳を中世期に戻さなくてはならないと言った根拠もここにあったと思います。そのような、人々のうちに眠っているハーモニー感覚を呼び覚ましてくれるのが分離唱なのです。
(引用ここまで)
♪♪♪
(Hide記)
たまたま日本民族は、ハーモニー文化圏の外に位置したというだけで、人類は本来本能的にハーモニー感覚というものを持っているものなんだ。そして大概の方はその感覚を眠らせているだけなんだと氏はおっしゃっているのだと思うのです。それは言い方を変えると、私達の耳にはメロディ(外声部)しか入って来ず、ハーモニー(中低音部)が入ってこないからだと言うことが出来ます。これが分離唱で訓練をすることによって、中低音が耳に入ってくるようになりハモり感を養うことが出来る。そして、一人でうたっているときは音痴の様に不安定でも、ハーモニーに支えられることによって耳が働き出して安定するというのです。
しかも・・・、狂ったピアノにでもハモることが出来るということは・・・、我々初心者の狂った音程の持ち主にでもきれいにハモることが不可能ではないということではないでしょうか・・・。そしてその感覚を呼び起こすことが出来るのは、
何も子供の頃から音感教育を受けた人や人並みはずれた音感の持ち主だけではなく、分離唱という簡単な「作業」をするだけで誰にでも(音痴の人にも)手にすることが出来るとおっしゃっているのです。
これ、素晴らしいと思いませんか。
そして、まさに私が求めていたのはこれだ!と思わず興奮したとしても無理はないと・・・ あなたにもそう思えて来たのではありませんか。
|