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<美しいハーモニーにあこがれて・・・分離唱のすすめ>
(5) 分離唱とは? 〜その3

3)分離唱の不思議

日本民族は、たまたまハーモニー文化圏の外にいた・・・。考えてみると、日本に西洋音楽が本格的に入って来てからまだせいぜい100年ちょっと。いや・・・、私の考えでは、多くの日本人がメロデイー一辺倒からやっとハーモニーというものを本当に意識し、感じ出したのはつい最近のことではないかとさえ思えるのです。一方、ヨーロッパでいわゆるドミソの概念が生まれたのは大体西暦1200年ごろと言われているそうです。とすると、その差約700年・・・! この差は、いかにも大きいという気がしますね。しかし私達日本人には、佐々木基之氏によって分離唱という手法が遺されているのです。 この手法によって、一部の音感に優れた方々だけでなく、一般の多くの日本人の耳にハーモニー感覚をよみがえらせ、この700年の差を一気に挽回するのも決して夢ではないと思うのです。

氏はこの手法の不思議さ、奥深さについて次のように書いておられます。これをお読みになれば、私の言うことも決して大げさではないと思われるのではないでしょうか。

♪♪♪
(引用ここから)
私は良く、次のような実験を試みます。ピアノで和音CEGを弾きながら、そのピアノの響きにぴったりハーモニーする(溶け込む)E音を、和音感の訓練をした人にうたってもらいます。そのEの声を伸ばしている所へ、今度はピアノで単音Eを弾いて見ますと、声のEとピアノのEとはちょっとずれているのです。今度は逆に、ピアノの単音Eを弾いて、それと同じ音を正確にうたってもらいます。声だけずーっと伸ばしているところへ、和音CEGをピアノで弾いてみますと、声のE音は確かにピアノの弾く和音の中にもあるのに、この場合声はピアノにハーモニーしていないのです。この微妙なずれが、この誤差が、人間の耳を壊し有鍵楽器以外の音を作る弦楽器や、声による音楽の演奏において、ハーモニーを乱す原因なのです。だからといって、その原因を作った平均律の有鍵楽器を追放するのはいまや不可能ですし、私達も実際にその恩恵に浴しているのですから、ピアノ自体の問題として考えるのではなくて、ピアノの使い方を変えればよい、と私は言いたいのです。

(中略)

弦楽器は、ピアノよりはるかに微妙な音程を持ち得るものです。ところが日本のヴァイオリン教育は、その微妙なる音程を単に指の位置のみで教え、それを種々の練習曲によって敏速に音を変化させて弾くように訓練しています。最もひどいことは、ピアノの単音に合わせてヴァイオリンの音をとらせることです。 こんなことをやっていますと、永久に正しい音を作れるはずがないと思います。例えば、三度音程というのは同時に鳴っているCとEが合った(ハモった)状態のことです。それを、コールユーブンゲン式にドーミが三度音程、つまりドからミに移るその幅が三度音程だと思っているのが間違いなのです。私達は、小学校のときから鍵盤楽器の単音でドレミと弾いてくれるのに合わせてドレミと歌って来ました。そして音大に至るまで音程を繰ってコールユーブンゲン式に教育されているのです。また、実験すれば分かりますが、例えば私がピアノでCEGの和音を弾き、あなたがヴァイオリンでピアノのGにはっきりポジションを合わせても、ただ無神経に弾いたのではピアノに合っていないのです。ここが面白い所なのです。そこで今度は、あなたが耳でピアノのCEGの響きを聴きながら、ヴァイオリンでこれなら合っているというGを出し、それを固定してずっと伸ばしていて下さい。そこへ、今度は私がピアノのGだけ叩いて見ましょう。このように、和音に合わせたヴァイオリンのGに、ピアノでGだけを単音で叩いた場合は、調弦でA線をピアノのAに合わせたほどには合っていないのです。これは本当に面白いことです。

この差をどうしたらよいか・・・これを解決してくれたのが分離唱です。

ピアノの和音を聴きながら、その中の一つの音をうたってよく聴いて溶け込ませる。声で訓練したあとで、それをヴァイオリンに移してやります。ピアノでCEGを弾いてもらって、CやEの音をヴァイオリンで作って、声を合わせるときと同じようによく聴いていると合って来ます。これではじめて、ピアノとヴァイオリンがハーモニーするのです。この能力が身に付くと、どんな伴奏にもピタッと合うようになるわけです。
(引用ここまで)
♪♪♪

(Hide記)
このお話は非常に重要です。

つまり弦楽器のように自分で音を作っていかねばならない楽器は、平均律のピアノの単音に合わそうとしてはダメで、合わせるのは和音に対して行うべきだという事です。そしてピアノの和音に合ってきれいにハモることが出来たとき、その音はもう既にピアノの単音とは遊離し、ハモるべくしてハモる唯一無二の音を選択しているのだということ。

これはなんとも不思議なことだと思いませんか。

ヨーロッパでも、楽器そのものが未発達で演奏者の技術も未熟な頃、長い間「声楽」に圧倒されていました。当時コンサートと言えば声楽鑑賞会あるいはオペラのことであり、 器楽演奏はただひたすら歌手達の伴奏の役目しか与えられてなかったそうです。あるときは歌手達の伴奏、あるときは歌手たちが劇場に到着するまでの「ガヤ静め」、またあるときは、幕間の余興あるいは、お開きになったあともおしゃべりしている人達へのサービス等々が器楽演奏者の役目だったらしい。そして器楽の世界は「人声」にあこがれ、「人声」のように弾けるようになりたいと思い続けることによって発達してきたのでしょう。

それは、いまだに自分の弾く楽器は「人の声に似ているんだ」と誇らしげに言う方が多いのは、 その長き戦いを我々の遺伝子が記憶しているからに他ならないのではないかとも思うのです。

このようにして楽器が発達して来た16世紀ごろになると、オルガンのような鍵盤楽器やリュートなどのフレット楽器が発達し、予め音高を調律によって固定する必要性から種々の「音律」というものが提案されるようになったそうです。

私は昔ヴァイオリンの先生から「その音高い」「低い」と、まあ・・・散々言われました。 そして、つい最近までそれが純正律であり、先生のおっしゃる音程で弾き、合奏すればそれで純正調のよい響きの合奏が出来るものと思い込んでいました。それがどうやらそうでもないらしい・・。

たとえどのような音律で正確な音程で弾けても、合奏の場では必ずしも美しいハーモニーが得られるとは限らないものらしい。 それも転調することで特に顕著になる・・・。

ウィーンフィルは、Aの音をそれほど神経質には合わせないらしい。しかし、ひとたび合奏に入るとこの上なく美しいハーモニーを形成することが出来る。それは、演奏者同士の耳で音を調整する能力を持つ演奏者の集団だからだそうです。

ある複数の音が美しくハモるのは、周波数の単純な整数比(完全五度は2:3、長三度は4:5等々)が相対的に形成されたときだそうです。 ・・・ということは、 結局、美しいハーモニーを得るためには、 どれかの音律で正確な音高で演奏するということは必ずしも重要ではなく、本能的にハモって行くハモリ感というものを身につけることこそが肝要であるということができそうです。

つまり、人間の本能は、和音をよく聴いているうちにその眠りから覚めて耳が働きだし、 知らず知らずのうちに一番ハモる音を探し選択するのだということ。そして更に、そのようなハモり感が分離唱によって顕著に会得できるのだと氏は提唱されているのです。