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1)ピアノという楽器への認識
さて、これまでのお話で、分離唱とはいかなるものか、もうかなり理解して頂いたのではないでしょうか。どこか神秘的なものを感じさせる分離唱、これを実践すると独特のハモリ感が加速的に養成出来るといいます。そしてこれを応用することによって、初心者の合奏でも美しいハーモニーを生み出すことも不可能ではないのではないか、という期待希望を抱かせる分離唱。これはなにがなんでもその神秘の扉を開けないという手はありません。しかし、自分でやってみてもも一つピンと来ないのです。
ピアノの和音に自分の声がハモる状態というのはどういうのをいうのか、これはやはりそれを実際に体験して耳をひらいた人の指導を受ける必要性を痛切に感じるようになりました。そして色々調べるうち、大阪にも佐々木先生のお弟子さんがいらっしゃることが分かったのです。すぐさまこの方に連絡を取り、電話でのインタビューとなりました。
この方は、現在は大阪で分離唱を基にしたピアノ教室をやっておられる、ステキな女性の方でした。〜♪今後この方のことはO先生と呼ばせていただきます。
佐々木先生は7年前に他界されたそうですが、この方は奥様との親交は今も厚く継続されておられるそうで、一人でも多く分離唱のことを理解し実践する方を増やしたいものだとおっしゃっていました。そして私は早速この方のレッスンを受けさせて頂く事になったのです。
以下は私の・・・衝撃の・・・体験談です。
さて、第1回目のレッスンです。先生からは、私はそのとき既に所持していた「佐々木ピアノ教本」を持ってくるように言われました。この「佐々木ピアノ教本」は、幼児でも大人でも、CEGの和音を弾くことから始めるという画期的な方法が採用されており、佐々木先生の重要な功績の一つだそうです。特に私のように分離唱から分離奏へと進む事が分かっている人には、まず実際にピアノを弾いて和音の響きを感じることから入る方が尚一層入りやすい、というO先生のお考えに基づくものです。しかし、分離唱の訓練にはピアノが弾けないと出来ないということはなく、家にピアノがなくとも電子ピアノやキーボードのようなものでもかまわないそうです。
いよいよレッスンの開始です。 まずはじめに教本の最初から弾いて行きました。主としてCEG、CFA、HDGの各和音を主体にした色んなやさしい曲を弾いて行くのですが、楽譜そのものはそう大して難しくはなくゆっくり弾いて行けばいいんです。ここで重要なのは「美しい良い響き」で弾くと言うことなんです。先生が横で聴いて下さっていて、「今のは良かった」「今のはよくなかった」とおっしゃって、良くない時は分離唱をするのです。
例えばCEGの和音が汚ければ、CEGの和音を弾いて見て、 その中の一音を歌うんです。「ツェーーーーー」、「エーーーーー」、「ゲーーーーーー」
という風に。私の声はふらふらして定まらないのですが、一瞬ぴたっと「溶け込んだ」と感じる所がありますが、どうやらそれでいいようです。ピアノの鍵盤を何回か叩きながらこれを繰り返し、まあ大体どの音も溶け込んだなと思ったらまた教本に戻ります。そうすると先生は「あぁよくなった」とおっしゃいます。
これは・・・どういうことなのか不思議で仕方ないのです。つまり、同じ弾き方でも、いくら自分では各音がバランスよく「ボーン」と和音を弾いているつもりでも、ひらいた耳の持ち主が聴くと汚かったり良かったりするんです。汚い場合はその都度分離唱をすることによってそれが改善できる・・・。何故そうなるのかその因果関係が私には良く理解できないのですね・・・。
本はよく読んで、あそこに書かれていることは大体理解したつもりでいました。ヴァイオリンは自分で音を作っていく楽器だから、耳の状態がよければ対象となる音にハモって行くことが出来るというのは理解できます。しかし、ピアノはもう既に「調弦」が完了して各弦の音が固定されてしまっている楽器です。それが良く響いたり響かなかったりすると言うのはどういうことなのか・・・。
先生に寄れば「音が変化している」のだそうです。例えばCEGを弾きます。しかる後にC♯EG♯を響かせると、このEは同じEでも確実にヘルツが変化しているとおっしゃいます。また、ある音をポーンと鳴らし、すぐ他の音を強くそして短くポンッポンッと鳴らしていくと、最初に鳴らした音の余韻の響きが変化して行くというのです。
これは何故なのか・・・。これはどうも、ピアノ各弦の持っている自然倍音が、同時に鳴らされた他の音によって共鳴し、増幅されるということではないかと考えてみました。つまりある弦の持つ色んな倍音のうち、他のいろんな音に共鳴する成分があればそれが増幅され変化した音として聴こえる・・・。
しかしこう考えると・・・これは物理的な自然現象で、弾く人の耳が良いかどうかには無関係なのでは・・・・。誰が弾いても、例えば猫が鍵盤の上を歩いたとしても・・・
起こるべくして起こる現象なのではないのか・・・。ましてや、上記の教本の曲を弾いていて美しく響かなかったら分離唱をすると改善される、というのはどう考えればいいのか・・・。
随分考えました。そしてこれはどうやら、その自然現象が起こりやすくするかどうかの話ではないかと思えて来ました。お互いの音が支えあうのがハーモニーとすれば、各音をバランスよく響かせる必要があります。バランスよく響かせたとき、お互いのピアノ弦が持つ自然倍音が共鳴しあい増幅しあって、
よりよく響く自然現象が起こりやすくなるのではないかと考えました。しかし、何の意識もなくただ無神経に鍵盤を叩いているだけであれば、どこかバランスを欠いてよく響かないということが起こるのでしょう。あるいは、メロディにばかり注意が行ってしまった弾き方でもそうなるかもしれません。これでは起こるべき自然現象も非常に起こりにくくなるのでしょう。
こう考えると納得できそうですが、しかしピアノってこんなに奥深いものだったのか、と認識を新たにせねばならないと思いました。
ピアノは平均律でわざわざ音を平均的に狂わせてある楽器・・・のような目で見ていましたが、 ここでもこれはあくまで単音を並べた場合のことであり、和音を弾いてこそピアノは値打ちがあるのだということ、そして弾き手によっては美しく響いたり響かなかったりするのだということを初めて認識させられました。つまりそれは、耳がひらいているかどうかでそのほとんどが決まってしまうという、私の知らない神秘の世界だったのです。
ピアノ情報誌にムジカノーヴァという雑誌があります。 この2001年10月号にこんな記事があるのを見つけたのでその要旨をご紹介します。
ミケランジェリのリサイタルの最後の曲、ショパンのOp35変ロ長調のソナタは、フィナーレのあまりにもすごい音色に、満員の聴衆は拍手をするのを忘れてしまうほど感動してしまったのです。彼の手指は、本当に無駄のない動きでした。そして、奇跡とでも言うべき、例の倍音の亡霊が空間上にぼんやりと浮かび上がったのです。それは、彼のものすごい左手と聴覚のなせる技だったのです。決して偶然に倍音の亡霊が浮かび上がったのではなく、全てを知り尽くした彼の聴覚が求めるが故の必然だったと思います。勿論、人間業ではないとしか思えないテクニックもありました。しかし、彼の聴覚がそれを求めていなかったら全てはなかったのです。
聴覚が研ぎ澄まされていると、不思議な倍音が響くことがある・・・、 どうやら本当らしい。ここまでいかなくても、 耳がひらくと言うことは、確実に響きに影響を与える・・・ということは言えそうです。
弦楽器の世界でも、どこからともなく聞こえてくるタルテーニ・トーンという音があるそうです。でもこれは、その人の弾く重音が純正に調和したときに発生する「差音」という物理現象だそうですから、
ピアノの場合とは又違うようです。
こう考えるとピアノの場合は、 よくよく神秘的で奥が深い・・・と認識を新たにしたのでした。
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